前回Part 7はこちら
台湾グルメを満喫した後は、そんなに遠くない距離にあるということもあり、僕のリクエストで中正紀念堂へ。
そこで感じた、台湾の歴史的人物の位置づけとは?
中正紀念堂は、台湾グルメを食べ尽くした永康街エリアから徒歩でも行ける距離にあるということで、彼女たちのスマートフォンを頼りに向かいました。
しかし、距離が近いということばかり考えていて、蒸し暑いということを忘れていました。。。
道が複雑でなかったために無事に中正紀念堂には着きましたが、到着した頃にはかなり汗をかいてしまいました(汗)。
台北地下鉄淡水信義線東門駅から中正紀念堂までの徒歩ルート
そして敷地内の中ほどに入っていくと。
ついに姿を現した中正紀念堂!
写真では分かりにくいかもしれませんが、想像以上に建物がデカく、如何に中正紀念堂が重要な建築物であるかを窺わせるものでした。
蒸し暑い中ではありましたが、せっかくここまで来たので、僕ら3人は階段を上って中正紀念堂の4階に行くことに。
階段を上り切ると、何やら人だかりが出来ているのを発見!
中で何かやっているのかなと思って覗いてみると。
おっ、これは衛兵の交代式だ!
後で調べてみたら、9:00~17:00までの毎時00分に行われるらしいのですが、ここまでは事前には調べていなかったにもかかわらず偶然にも見学することが出来ました。
衛兵の交代式が終わった後に奥に進んでいくと。
非常に堂々たる風貌の座像がドーンと鎮座!
この人物が誰だったかすっかりド忘れしてしまっていたのですが、座像の風貌から、太平洋戦争後の中国本土での共産党との内戦の後、台湾で中華民国政府作りを進めた蒋介石であることがわかりました。
後に調べてみると、蒋介石の本名は「蒋中正」と言い、「蒋介石」はペンネームだそうで、中正紀念堂というのは正に蒋介石の為に建てられた施設なわけですね。
それであれば中正紀念堂自体の大きさがあれだけデカいのも納得でした。
銅像を目にした僕が「あっ、これ蒋介石じゃない!」と思わず口に出すと、台南から来た女の子がこう言いました。
「そう、私たちの『国』を作った人よ!」
この女の子って、高麗大学校語学堂で一緒のクラスだった時には、政治には殆ど関心がなかったので、改めて考えてみると、(失礼ながら)まさかこのような発言をするとはあまり想像していませんでした。
しかし、そう見えた子でも「台湾は『国』である」と言ったことを考えると、あっ、そうか、やっぱり台湾人にとって台湾は『国』なんだな、ということを本当に認識できる良い機会でした。
僕ら3人は中正紀念堂4階から中の階段を下りて、3階へと降りて行きました。
3階は中正紀念堂の沿革を知ることができました。
そして蒋介石の生涯を紹介しているい1階展示室入口には。
蒋介石の胸像が鎮座!
4階の座像といい、1階の胸像といい、蒋介石が如何に台湾にとって偉大な人物であったかを誇示しようとする意図が見えてしまう程の荘厳な雰囲気が漂っていました。
中正紀念堂の1階では、蒋介石を称える施設らしく、蒋介石は台湾で政府を作り上げた功績と共に、家庭的な一面も併せ持った偉大な人物であることが紹介されていました。
でも、蒋介石が台湾で政府を作った偉大な人物であることは間違いないけれど、特に晩年は独裁者の一面もあったと、高校の世界史で習った記憶が薄っすらあるのですが。。。
とはいえ、蒋介石を記念して建てられた施設には、(勿論?)そのような負の一面は紹介されることなく、専ら「偉大な人物だった」アピールに終始している印象を受けました。
しかし、最後に僕としては少し引いてしまった展示物がありました。
蒋介石の専用公用車?
凄腕の指導者であったことは間違いなかったと思うので、これ位の高級な公用車は別に珍しくはないと思います。
ですが必要以上に「凄く偉大な人物だったんだよ」的な展示は、「これっぽっちの欠点もなかった」と言いたがっているような気がして、僕個人としてはあまりよろしくはないのではなかろうかと。。。
僕ら3人は中正紀念堂を後にして、台北地下鉄(台北捷運)中正紀念堂駅に向けて歩くことに。
中正紀念堂一帯には音楽ホールの国家音楽庁(國家音樂廳)と演劇ホールの国家戯劇院(國家戲劇院)といった文化施設も建てられていて、中正紀念堂は台北の文化の中心といった装いでした。
僕ら3人が中正紀念堂の敷地を出ようとする時に立っていたのが。
台北と言えば思い浮かぶ自由広場門(自由廣場牌樓)
台湾の権威の象徴の場所で「自由広場」という名前が合っているかはともかくとして、この門が蔣介石を記念した中正紀念堂の入口として相応しい風格を漂わせていることに間違いはありませんでした。
台湾の現代史を思い出しながら中正紀念堂敷地内を歩いている最中に偶然見つけてしまった光景がありました。
台湾の歴史的人物を称えている施設の敷地内でアイドル撮影会!?
まあどの地域にも限らず男というものはそんな生き物なのかもしれない、というところで止めておきましょう(汗)。
アクセス
Part 9へ続く。
台北旅行や蒋介石に関しては、下記の書籍もご参考に!
台湾グルメを満喫した後は、そんなに遠くない距離にあるということもあり、僕のリクエストで中正紀念堂へ。
そこで感じた、台湾の歴史的人物の位置づけとは?
永康街エリアから徒歩で中正紀念堂へ!
中正紀念堂は、台湾グルメを食べ尽くした永康街エリアから徒歩でも行ける距離にあるということで、彼女たちのスマートフォンを頼りに向かいました。
しかし、距離が近いということばかり考えていて、蒸し暑いということを忘れていました。。。
道が複雑でなかったために無事に中正紀念堂には着きましたが、到着した頃にはかなり汗をかいてしまいました(汗)。
台北地下鉄淡水信義線東門駅から中正紀念堂までの徒歩ルート
中正紀念堂周辺には観光バスが多数停車していました。 |
中正紀念堂の入口付近は外壁が立っています。 |
中正紀念堂で気功? |
そして敷地内の中ほどに入っていくと。
ついに姿を現した中正紀念堂!
写真では分かりにくいかもしれませんが、想像以上に建物がデカく、如何に中正紀念堂が重要な建築物であるかを窺わせるものでした。
中正紀念堂敷地内は公園にもなっていて、台北市民の憩いの場になっているようです。 |
中正紀念堂で偶然にも
蒸し暑い中ではありましたが、せっかくここまで来たので、僕ら3人は階段を上って中正紀念堂の4階に行くことに。
中正紀念堂の階段を上ります。 |
階段を上り切ると、何やら人だかりが出来ているのを発見!
中で何かやっているのかなと思って覗いてみると。
おっ、これは衛兵の交代式だ!
後で調べてみたら、9:00~17:00までの毎時00分に行われるらしいのですが、ここまでは事前には調べていなかったにもかかわらず偶然にも見学することが出来ました。
衛兵の交代式が終わった後に奥に進んでいくと。
非常に堂々たる風貌の座像がドーンと鎮座!
この人物が誰だったかすっかりド忘れしてしまっていたのですが、座像の風貌から、太平洋戦争後の中国本土での共産党との内戦の後、台湾で中華民国政府作りを進めた蒋介石であることがわかりました。
蒋介石を称える中正紀念堂で聞いた台湾人の女の子の言葉
後に調べてみると、蒋介石の本名は「蒋中正」と言い、「蒋介石」はペンネームだそうで、中正紀念堂というのは正に蒋介石の為に建てられた施設なわけですね。
それであれば中正紀念堂自体の大きさがあれだけデカいのも納得でした。
銅像を目にした僕が「あっ、これ蒋介石じゃない!」と思わず口に出すと、台南から来た女の子がこう言いました。
「そう、私たちの『国』を作った人よ!」
この女の子って、高麗大学校語学堂で一緒のクラスだった時には、政治には殆ど関心がなかったので、改めて考えてみると、(失礼ながら)まさかこのような発言をするとはあまり想像していませんでした。
しかし、そう見えた子でも「台湾は『国』である」と言ったことを考えると、あっ、そうか、やっぱり台湾人にとって台湾は『国』なんだな、ということを本当に認識できる良い機会でした。
中正紀念堂で蒋介石の生涯を辿る
僕ら3人は中正紀念堂4階から中の階段を下りて、3階へと降りて行きました。
3階は中正紀念堂の沿革を知ることができました。
中正紀念堂建設途中の様子 |
中正紀念堂落成式の様子。 死後5年の蒋介石の崇拝ぶりが窺えます。 |
そして蒋介石の生涯を紹介しているい1階展示室入口には。
蒋介石の胸像が鎮座!
4階の座像といい、1階の胸像といい、蒋介石が如何に台湾にとって偉大な人物であったかを誇示しようとする意図が見えてしまう程の荘厳な雰囲気が漂っていました。
中正紀念堂の1階まで下りました。 |
蒋介石の生涯が紹介されている中正紀念堂1階展示室入口 |
鉄道駅といい寺院といい中正紀念堂といい、台湾の人は地べたに座るのがお好きなよう。 |
『独裁者』より『国父』として蒋介石を専らアピールの中正紀念堂
中正紀念堂の1階では、蒋介石を称える施設らしく、蒋介石は台湾で政府を作り上げた功績と共に、家庭的な一面も併せ持った偉大な人物であることが紹介されていました。
でも、蒋介石が台湾で政府を作った偉大な人物であることは間違いないけれど、特に晩年は独裁者の一面もあったと、高校の世界史で習った記憶が薄っすらあるのですが。。。
とはいえ、蒋介石を記念して建てられた施設には、(勿論?)そのような負の一面は紹介されることなく、専ら「偉大な人物だった」アピールに終始している印象を受けました。
左側写真は1911年撮影のもので、前列右が蒋介石だそう。 右側写真は1912年当時の蒋介石だそう。 好青年という印象。 |
1924年に中国・広州で黄埔軍官学校という軍人養成学校が設立された時の写真だそう。 写真真ん中の白い服に身を包んだ人が孫文だそうで、孫文の写真が残っているんですね! 写真右側で先頭に立っている人が蒋介石。 |
対日抗争勝利が、まるで蒋介石一人だけによって導かれたような描き方に見えてしまう。。。
台湾の立場としてはそうしないと存在意義が薄れてしまうのは理解出来なくはないですが。。。 |
1943年当時重慶にあった国民党による政府の主席になった時の蔣介石肖像画。 |
左側は現中華民国国軍の元である国民革命軍だという写真。 下の説明に、1937年の盧溝橋事件の際に当時日本軍と対峙したとあります。 右側は1943年カイロ会談で蒋介石が出席した際の写真。 |
「今の台湾を作り上げた人は家庭も大事にしていたんだよ~」アピール? |
蒋介石が1927年に上海で結婚式を挙げたときの写真だそう。 |
台湾の子供たちはこうして歴史教育されていくのかな~。。。 |
しかし、最後に僕としては少し引いてしまった展示物がありました。
蒋介石の専用公用車?
凄腕の指導者であったことは間違いなかったと思うので、これ位の高級な公用車は別に珍しくはないと思います。
ですが必要以上に「凄く偉大な人物だったんだよ」的な展示は、「これっぽっちの欠点もなかった」と言いたがっているような気がして、僕個人としてはあまりよろしくはないのではなかろうかと。。。
中正紀念堂敷地内には文化施設も!
僕ら3人は中正紀念堂を後にして、台北地下鉄(台北捷運)中正紀念堂駅に向けて歩くことに。
中正紀念堂一帯には音楽ホールの国家音楽庁(國家音樂廳)と演劇ホールの国家戯劇院(國家戲劇院)といった文化施設も建てられていて、中正紀念堂は台北の文化の中心といった装いでした。
音楽ホールの国家音楽庁 |
国家音楽庁の前で学校行事の練習? |
国家音楽庁の前でパチリ! |
中正紀念堂敷地内の西側に立つ自由広場門
僕ら3人が中正紀念堂の敷地を出ようとする時に立っていたのが。
台北と言えば思い浮かぶ自由広場門(自由廣場牌樓)
台湾の権威の象徴の場所で「自由広場」という名前が合っているかはともかくとして、この門が蔣介石を記念した中正紀念堂の入口として相応しい風格を漂わせていることに間違いはありませんでした。
自由広場門 |
自由広場門付近から中正紀念堂を望む。 |
青天白日満地紅旗(通称青天白日旗)がなびく中正紀念堂 |
おまけ:中正紀念堂敷地内でアイドル撮影会?の西側に立つ自由広場門
台湾の現代史を思い出しながら中正紀念堂敷地内を歩いている最中に偶然見つけてしまった光景がありました。
台湾の歴史的人物を称えている施設の敷地内でアイドル撮影会!?
まあどの地域にも限らず男というものはそんな生き物なのかもしれない、というところで止めておきましょう(汗)。
中正紀念堂の訪問ガイド
アクセス
台北地下鉄淡水信義線・松山新店線中正紀念堂駅から徒歩約10分
開館時間
9:00~18:00
休館日
旧正月の大みそかと元日
料金
無料
ホームページ(日本語)
http://www.cksmh.gov.tw/jp/
開館時間
9:00~18:00
休館日
旧正月の大みそかと元日
料金
無料
ホームページ(日本語)
http://www.cksmh.gov.tw/jp/
台北地下鉄中正紀念堂駅。 淡水信義線と松山新店線が乗り入れています。 |
台北地下鉄中正紀念堂駅ホームは、淡水信義線と松山新店線の方向別乗り換えが出来るようになっています。 |
Part 9へ続く。
台北旅行や蒋介石に関しては、下記の書籍もご参考に!
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