ムンバイ最大級のスラム街ダラヴィ(Dharavi)を訪れた後は、ムンバイ中心部に戻り、キリスト教の大聖堂に入ってみることに。
そして、その大聖堂の近くで売っていたラッシーを頼もうとした時にわかった驚くべきこととは!?
ムンバイ近郊鉄道チャーチゲート駅に到着
ダラヴィを訪れた後はムンバイ近郊鉄道(Mumbai Suburnban Raiway)西部線(Western Line)の電車に乗って終点のチャーチゲート(Churchgate)まで行き、そこから歩いて聖トーマス大聖堂(St. Thomas Cathedral)に向かうことにしました。
チャーチゲート駅はムンバイ近郊鉄道の通勤電車のみの発着ということで、チャトラパティ・シヴァージ・ターミナス(Chhatrapati Shivaji Terminus)より規模は大きくはないですが、通勤電車を利用する人で賑わいを見せていました。
ムンバイ近郊鉄道西部線チャーチゲート駅に到着! |
ムンバイ近郊鉄道チャーチゲート駅の駅舎。 すぐ横の道路は交通量がとても多かったです。 |
ムンバイの聖トーマス教会
チャーチゲート駅から歩いて約15分程で聖トーマス大聖堂に到着。
Part 6で書いたことと同様に、インドにキリスト教徒は殆どいないと思っていましたが、インドが2011年に実施した国勢調査にて、キリスト教徒はインド全体の人口の2.3%を占めているそうです。
※参考リンク
宗教関連データ|インド国勢調査2011(英語)
ムンバイの聖トーマス教会 |
ムンバイの聖トーマス教会の入口には、「1718年完成」と記されています。 |
しかし、教会内部を見回している内に、こんな文言を発見しました。
「栄えある東インド会社は、大英帝国の正義の下でこの記念碑を捧げる(THE HON'BLE EAST INDIA COMPANY Dedicate this Memorial of BRITISH JUSTICE)」?
色々調べたところ、どうやら当時マイソール王国・フランス連合との戦争の中で殉死した大英帝国将校の記念碑のようです。
更に入口にあったプレートに記されていたRichard Cobbeという人物は、東インド会社の専属牧師(CHAPLAIN TO THE HONOURABLE EAST INDIA COMPANY)で、この人物がこの大聖堂の建設に大きな役割を果たしたよう。
東インド会社をはじめとした大英帝国によるインド植民地政策の歴史を意外な場所で認識することになりましたが、宗教が信仰というよりかは植民地開発の一環として利用されていたことを考えると、宗教が本来社会の中でどういった役割を果たしていくべきなのかを改めて考えさせられました。
ムンバイの聖トーマス教会内部。 無駄な派手さのないシンプルな色使い。 |
チャーチゲート駅から聖トーマス教会までの道のり
液体状のラッシー+固形状ヨーグルトのラッシーは半端なく美味しいかった!
時刻が夕方6時近くになり、何か夕食を食べたいと思っても、蒸し暑すぎてそれほどまでの食欲がなかった僕は、何か良い飲み物がないかと聖トーマス教会周辺を歩き回っていると、仰天の看板を発見!
ラッシーが1杯20ルピー(約35円)!!??
僕はインド料理屋に入ったら必ず頼む程ラッシーが好きなのですが、本場とは言え、こんな激安価格でラッシーが飲めるなんて!!
ということで早速頼んでみるとこれまた仰天!!
一般的な液体状のラッシーに加え、更に固形状に近いヨーグルトまでのっけてくれたではありませんか!!
この固形状に近いヨーグルトを(おそるおそる笑)食べてみましたが、これが丁度良い甘酸っぱさで、液体状のラッシーともすごく合って、めちゃめちゃ美味しいこと!!
これで20ルピーとは、(過激な発言なことを承知の上ですが)日本のインド料理レストランで売っているラッシーはどれだけぼったくりに近いようなことをしているんでしょうか(苦笑)
インド旅行に関しては、下記の書籍もご参考に!
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