ページ

2016/07/30

仁川の月尾島にある韓国移民史博物館を見学してきた!

こんばんは、大学時代は移民を研究するゼミに所属していたタケオです。
朝鮮半島に出自を持つ人は、朝鮮半島のみならず、日本・中国・米国を中心に数多くいますが、彼らを取り巻く歴史を取り扱った韓国移民史博物館(한국이민사박물관)があるということで、この博物館を訪ねてみました。


◎韓国移民史博物館


韓国移民史博物館は、1902年に当時大韓帝国政府が公式に認可した移民102人が現在の仁川広域市(인천광역시)から米国のハワイへ出発したことを記念し、2008年6月13日に同市の月尾島(월미도、ウォルミド)に開館した博物館です。


韓国移民史博物館

◎第1展示室


第1展示室では、韓国移民の概略、1905年の当時大韓帝国政府公式認可移民が送り出された背景・状況等が紹介されています。







1910年~1944年にかけての朝鮮人移民の概略紹介には「国を失った鬱憤を後にし」と書かれています。


韓国移民の概略で展示されていた、戦中に日本の炭鉱で働いていた朝鮮人の写真。
「炭鉱に強制動員された韓国人たち」と紹介されています。
写真を見る限り、現北海道上砂川町にあった三井砂川炭鉱の写真と思われます。





初公式移民送出当時の状況紹介。
「ハワイへの移民を決行したのには、貧困という経済的要因、そして不安定な情勢から抜け出そうという政治的・社会的要因があった」と書かれています。


当時ハワイの情勢と、移民を斡旋した人物の紹介。
「1882年中国人排斥法が通過し、中国人を雇用できなくなった。
この影響で日本人移民が急増したが、労働運動が組織展開され、農場主が日本人の移住を抑制するに至った。
このような状況の中で、農場主は朝鮮人労働者を選択することとなったのである。」

移民募集の状況。
仁川をはじめとした都市を中心に募集をかけたものの、儒教に基づく家族主義が強い朝鮮人においては、いくら経済的・社会的要因があっても、故郷を離れてまで生活しようという人は多くなく、応募は少数に留まったそう。
そこで、米国人牧師が教会周辺の人に説明して、何とか人を集めたそうなのですが。。。


1902年に政府公式認可移民102人がハワイへ向けて出発。
途中健康検査の過程で離脱者が出て、最終的には86人がハワイの地を踏んだそう。


公式認可移民は、仁川から日本の客船玄海丸に乗船して長崎に寄港。
長崎から米国客船ゲーリック号に乗ってハワイに上陸したそう。
ここでも実は日本が関わっているんですね。


朝鮮半島からの移民到着を伝えた当時のハワイ新聞


◎第2展示室


第2展示室では、1900年代序盤~中盤にかけて米国に定着した朝鮮人移民の当時の生活ぶりが紹介されています。


ハワイでの朝鮮人移民に割り当てられた家での生活の様子を再現。


当時の移民は男性が殆ど。
彼らの結婚問題を解決するために送り出された女性たちがいたそう。
日本からの移民の例では彼女たちのような例は「写真花嫁」と呼ばれていますが、ここでは「写真新婦」と紹介されています。


「写真花嫁」としてハワイに送り出された1人の朝鮮人のパスポート。
発行年が1912年ということで、日本語で書かれています。


朝鮮人移民の米国定着に大きな役割を果たしたというキリスト教会。
後に大韓民国初代大統領となる李承晩(이승만、イ・スンマン)も1918年にハワイで朝鮮人移民のための韓人基督教会(한인기독교회)を設立したそう。


当初ハワイのみだった米国への移民は、その後米国本土各地にも広がっていったそう。
写真たちは当時の移民の生活を映した写真。
一番左上はアメリカ本土への移民の入り口であった、ニューヨークにあるエリス島(Ellis Island
)の移民局。
移民局は現在移民博物館となっていますが、僕もニューヨークに行った際に訪れました。


◎第3展示室


第3展示室では、中南米への朝鮮人移民の歴史が紹介されています。


1905年に初めてメキシコに渡った朝鮮人移民1,033人についての紹介。
これは4年間の強制労働契約を伴った不法移民だったそうで、1909年に解放された後も確固たる生活基盤を築けなかった一部の人たちはキューバへ渡ったそう。


戦後もメキシコへの移民は継続的に発生し、現在は約15,000人の移民が住んでいると推定されるそう。


朝鮮半島→メキシコ→キューバと渡った移民の紹介。
1959年キューバ革命により交流が断絶されたとありますが、昨年2015年の米国・キューバ国交回復により、キューバへの移民と韓国との関係がどうなるか注目されます。


太平洋戦争終結直後中南米に渡った韓国人のパスポート等


ブラジル移民の紹介。
戦中の在日朝鮮人の一部や、朝鮮戦争時に捕虜となった共産主義者がブラジル移民の中心ということで、日本ほどは多くないようです。


アルゼンチンへの移民の始まりは、1960年代の韓国の経済難による人口過剰問題解決のための、政府の移民奨励策だそう。
これは日本の米国ハワイやブラジルへの移民の背景と類似しています。


パラグアイ移民のために発行された新聞




◎まとめ


僕は午後4時から入館しました。
それほど規模の大きい博物館ではありませんでしたが、館内で無料WI-FIを使うことができるため、途中で気になったことを調べたり、持っていたiPadに写真を転送したりもしたため、2時間程館内にいました!
僕の個人的な印象として、歴史的背景の影響があって、在日韓国・朝鮮人に関する記載が非常に少ないのは残念ですが、近現代朝鮮半島の歴史の一端を知る上で非常に興味深い内容となっていますと思います。
仁川の月尾島を訪ねる際には是非見学してみてはいかがでしょうか!


韓国移民史博物館

○行き方
首都圏電鉄1号線(수도권전철1호선)仁川駅(경복궁역)1番出口から市内バス45番に乗り、海事高等学校・韓国移民史博物館(해사고등학교.한국이민사박물관)下車後直ぐ

○開館時間
9:00~18:00

○休館日
毎週月曜日、公休日の翌日、1月1日

○入場料
無料

※公式ウェブサイト
韓国移民史博物館(韓国語)


仁川駅1番出口



仁川駅停留所から市内バス45番に乗ります。


海事高等学校・韓国移民史博物館停留所下車後直ぐのところに博物館があります。

0 件のコメント:

コメントを投稿