高麗大学校語学堂6級の授業の中で、朝鮮戦争休戦以降の韓国の歴史を学んでいますが、その授業の一環として、ソウル特別市(서울특별시)鍾路区(종로구、チョンノグ)にある大韓民国歴史博物館(대한민국역사박물관)を見学してきました!
そこで今回は、写真を中心に大韓民国歴史博物館内で気になった展示物を紹介したいと思います。
◎大韓民国歴史博物館
大韓民国歴史博物館は、李氏朝鮮末期の19世紀後半から現代までの朝鮮半島・韓国の歴史を取り扱った博物館です。
2008年8月15日に、当時の李明博(이명박、イ・ミョンバク)大統領が光復節(광복절)慶祝辞として韓国の近現代史を扱う博物館の建設を公布し、2012年12月26日に開館した、比較的新しい国立博物館です。
※参考リンク
大韓民国歴史博物館公式ウェブサイト(日本語)
大韓民国歴史博物館 |
◎3階-第一展示室(1876~1945)
3階の第一展示室では、日本と李氏朝鮮との間で日朝修好条規(조일수호조규)通称江華島条約が結ばれた1876年(高宗13年)から、第二次世界大戦終結の1945年までの間に起こった出来事が紹介されています。
第一展示室入口で紹介される大韓民国現在領土の概略 |
竹島(韓国名独島)もしっかり紹介。。。 |
写真上:1882年アメリカと修好条約を結ぶ際に派遣された李氏朝鮮官僚 写真左下:アメリカ高官に対しクンジョルを行った姿を載せた当時アメリカの新聞 写真右下:日朝修好条規締結の様子を描いたもの |
西大門(서대문)とも呼ばれる独立門(독립문)は、従属国であった清からの独立、という意味だそうです。 |
1905年締結の第二次日韓協約は、韓国では乙巳条約(을사조약)と呼ぶらしく、この条約で外交権が失われたとして重要視しているみたいです。 |
やっぱり安重根は外せないよう。 一方で、「国家安危労心焦思」の寄贈先は、安岡静四郎という当時検察官となっていて、当の本人も「於旅順獄中大韓国人安重根」と追記しており、多角的視点から安重根関連の事柄を知る必要があることを思わせます。 |
日本植民地時代の教科書等 |
「立派な兵隊を出すために国語生活を実行しよう!」 「国語」は勿論残念ながら日本語。。。 |
大韓民国臨時政府(대한민국 임시정부)が中国・上海で設立され、一時は南京や重慶に場を移したことは記憶の片隅にありましたが、こんなにも中国各地に移動していたようです。 |
一番右側は、日本降伏時のアメリカの報道。 |
1945年8月15日以降の朝鮮半島南側(現韓国)の様子 |
1945年8月15日以降の朝鮮半島北側(現北朝鮮)の様子 |
4階の第二展示室では、1945年~1960年にかけての韓国の歴史が紹介されています。
この間に起きた主な出来事としては、1948年の大韓民国政府樹立、1950年~1953年にかけての朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争(한국전쟁)」と呼びます)、李承晩(이승만、イ・スンマン)大統領辞任のきっかけとなった1960年の4.19革命(4.19 혁명)があります。
大韓民国政府樹立約1ヶ月前に公布された憲法の第一号。 写真左上は、憲法に署名する後の初代大韓民国大統領李承晩。 |
1948年8月15日大韓民国政府樹立時の様子 |
朝鮮戦争時の物資支援国として、日本が入っています。 |
朝鮮戦争の悲劇を写した写真。 「北朝鮮軍の民間人虐殺」や「共産治下の受難」は韓国視点。 |
「板子村(판자촌、パンジャチョン)」と呼ばれる、朝鮮戦争休戦協定直後の、韓国での一般的な集落の様子の一部を再現したもの。 個々の家が薄い板で出来ていたということで、見ただけでも悲しくなりますが、解説員によれば、再現されたこの形状でも「ホテル級」だったそう。 |
朝鮮戦争休戦協定直後の教室の様子。 一つの教室に非常に多くの生徒が学んでいた様子を、もやしを育てる様子に例えて、「もやし教室(콩나물 교실、コンナムル キョシル)」と呼ぶそう。 |
出ました、1952年の李承晩ライン! 韓国では「平和線(평화선)」と呼んでいるらしいです。。。 |
1950年代中盤~後半にかけて整えられた、交通・通信・電力等のインフラ |
韓国工業化の走りを担ったという紡績・製粉・ガラス製造 |
1955年に国際車輌製作株式会社が製造したという「国産車」の「始発(시발、シバル)」。 とは言え、実際は、米軍が使用していたジープの払い下げを再利用したもの。。。 |
1950年代に韓国で実施された選挙の候補者ポスター。 写真左上が李承晩。 |
李承晩大統領辞任のきっかけとなった、1960年の4.19革命。 |
朴正煕(박정희、パク・チョンヒ)主導による1961年の5.16軍事クーデター(5.16 군사정변)発生までの経緯。 |
◎5階-第三展示室(1961~1987)
5階の第三展示室では、1961年~1987年にかけての韓国の歴史を知ることができます。
この間の主な出来事としては、1961年の5.16軍事クーデター、1965年の日韓基本条約(한일기본조약)、1979年の当時朴正煕大統領暗殺、1980年の光州事件(韓国では「光州民主化運動(광주 민주화 운동)」と呼びます)、大統領直接選挙制実現の契機となった1987年の6月民主抗争(6월 민주 항쟁)があります。
当時朴正煕大統領が作成した「5ヶ年計画」に関する資料等 |
1965年日韓基本条約締結の様子 |
当時西ドイツでの労働力不足解決策の一つとして、韓国から鉱員や看護師が派遣されたそうです。 |
1960年代~1980年代の反共政策(반공 정책)の数々。 「不穏なビラを見たら即申告しよう」とか「スパイを捕まえる父になり、申告する母になろう」とか、かなりのスローガン。 |
ベトナム戦争への参戦については、戦争記念館(전쟁기념관)で詳しい説明があるためか、簡略な説明に。。。 |
ソウルと釜山を結ぶ京釜高速道路は、1970年に完成し、それまで15時間掛っていた道のりが5時間と大幅に短縮されたということです。 |
韓国で製造された家電の数々。 洗濯機やテレビは日本の会社の技術協力なしでは作れなかったものではありますが。。。 |
韓国の現代自動車社が製造した初めてのモデル「ポニー」。 エンジン・トランスミッション・アクセル等は日本の会社の技術協力を得ているにもかかわらず、説明がない(苦笑)。 |
韓国が最近まで誇りにしていた造船産業についての説明。 現在は雇用調整の真っ只中ですが。。。 |
いずれにしても、韓国の経済成長の速さといったら! |
朝鮮芸能の一つパンソリを題材にした西便制(서편제、ソピョンジェ)は、大学時代に授業で見させられたので、覚えがあります。 そして、出ました~ロボットテコンV(로보트태권V)(苦笑) |
テコンVの映像 |
韓国プロ野球創成期の資料。 写真左下雑誌中左側の人物は、中日ドラゴンズでも活躍した宣銅烈(선동열、ソン・ドンニョル)当時投手。 |
1970年代~1980年代にかけての韓国大衆歌謡。 僕が知っているのは趙容弼(조용필、チョ・ヨンピル)ぐらいですが。。。 |
演歌を連想させるとして検閲に引っかかった曲があるらしいです。。。 |
「太陽は港の上に赤く昇り」という歌詞が北朝鮮を連想させるとして、検閲に引っかかった曲があるらしいです。 |
1970年代に政府主導で頭髪・スカートの検査を行っていたらしいです。。。 僕の通っていた高校かっ!! |
1970年代に農村振興を目的として、政府主導で始まったセマウル運動(새마을운동)に関する資料 |
セマウル運動は農村のみで展開されたという認識でしたが、後に都市部にも広げていったらしいです。 |
セマウル運動の様子を再現したジオラマ |
光州事件関連資料 |
6月民主抗争関連資料 |
大統領直接選挙制への転換を伝える朝鮮日報記事。 後の大統領となる金大中(김대중、キム・デジュン)の釈放も伝えています。 |
◎5階-第四展示室(1988~)
同じく5階の第四展示室では、1988年から現代に至るまでの韓国の歴史資料が展示されています。
1987年実施大統領選挙当時のポスター。 ポスター一番上の盧泰愚(노태우、ノ・テウ)当時民主正義党候補が当選。 |
1997年のIMF危機や、その後の経済・社会問題に関する資料 |
韓国でもスーパーファミコンやたまごっち等のゲーム機が流行ったそう。 |
何故一番類似性の高い日本語の訳がややおかしくなるのでしょうか。。。 |
◎3階-企画展示室
3階にある企画展示室では、特別展示が行われます。
現在は1966年前後の韓国国内情勢を題材にした特別展示「働く年1966(일하는 해 1966)」が行われていました。
「働く年1966(일하는 해 1966)」特別展示入口 |
当時政府広報部が作成した反共漫画ポスター「ポンナミが話す悪徳な共産党(복남이가 말하는 악독한 공산당)」。 洪吉童(홍길동)によって韓国に連れられた北朝鮮のある子どもが、韓国のある家庭の前で、北朝鮮での生活の実体を話す、というストーリー。 |
前年の1965年日韓国交正常化関連の説明 |
日韓基本条約調印の様子を伝える韓国の新聞の号外。 調印に反対するデモに参加した学生計1,032人を連行したという内容も。 |
1963年に行われた大統領選挙の候補者ポスター。 下段真ん中が朴正煕。 |
1960年代の韓国の日常生活の風景。 扇風機、白黒テレビ、黒電話など等。 |
1960年代の調理器具・食品。 今でもお馴染みの三養ラーメン(삼양라면、サミャンラミョン)のパッケージも! |
◎まとめ
僕ら学生と先生は10時から入館し、1時間20分程解説員からの説明を受け、40分間は自由に見学しました。
12時に解散しましたが、僕は結局近くで昼食を取った後、博物館に戻って午後3時まで館内を見学していました!
国立中央博物館に引き続き、解散後直帰するどころかここまで長くいたのは僕だけだったに違いありません(汗)
僕の個人的な印象として、解説員をはじめとして、韓国を誇りすぎるような内容もあり、突っつきどころも多々ありますが、館内の展示物が豊富な事もあって、長くいても飽きない内容になっていますので、特に歴史好きの方は、午前中いっぱい或いは午後いっぱい時間を掛けて見学されることをおススメします!
大韓民国歴史博物館
○行き方
首都圏電鉄3号線(수도권전철3호선)景福宮駅(경복궁역)4番か6番出口、又はソウル地下鉄5号線(서울지하철5호선)光化門駅(광화문역)2番出口からそれぞれ徒歩10分程
○開館時間
火・木・金・日・祝日:9:00~18:00
水・土:9:00~21:00
○休館日
毎週月曜日、1月1日
○日本語での展示解説
火曜日~木曜日の14:00から約1時間
○入場料
無料
光化門広場(광화문광장、クァンファムンクァンジャン)に立つ世宗大王銅像からも、大韓民国歴史博物館の建物が見えます。 |
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