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2016/02/02

韓国の国民教育憲章について‐日本の教育勅語との比較を交えながら

先日、韓国のニュースで、昔韓国で国民教育憲章なるものが存在していたことを知り、その内容が日本の教育勅語と似通っている部分があると感じましたので、今回は日本の教育勅語との比較を交えながら、韓国の国民教育憲章について紹介したいと思います。


◎韓国総合編成チャンネルJTBCニュースキャスターによる、国民教育憲章の言及


僕が国民教育憲章を知るきっかけになった、総合編成チャンネル(新聞社所有のテレビ局)JTBCニュース番組最後の部分を紹介します。
因みにここに出ている孫石熙(손석희、ソン・ソッキ)という人は韓国内でも発言力のあるニュースキャスターとして知られているようです。


※総合編成チャンネルの説明については、下記リンクに譲ります。
韓国大手新聞社の放送事業本格参入から1年―「総合編成チャンネル」はいま―


2016年1月28日放送JTBC『ニュースルーム』 「393字 誰が愛国を口にするのか」


총 삼백 아흔 세 글자. 기억하시는지요. 지난 1968년 12월 5일. 박정희 전 대통령이 발표한 국민교육헌장의 총글자 수입니다.
計393字。皆さんおわかりでしょう。1968年12月5日。朴正煕元大統領が発表した国民教育憲章の総文字数です。

지금도 누군가 물으면… 자다가도 벌떡 일어나 암기할 수 있다고 말하는 이들도 있더군요. 물론 저도 그런 사람 중의 한 사람입니다.
今でも誰かに問われれば、寝ていても直ぐに目覚めて暗唱できるという人もいるといますよね。
勿論私もその一人です。

군부정권이 발표한 이 국민교육헌장은 당시 '국민'이 되기 위한 필수 교양이었습니다.
軍部政権が発表したこの国民教育憲章は当時『国民』になるための必須教養でした。

학교에선 이 긴 글을 통째로 외우지 못할 경우 학생들을 집에 보내주지 않았습니다. 각종 입시와 입사시험에도 의무적으로 출제가 되곤 했지요.
学校でこの長い憲章を覚えられない生徒は家に帰ることができませんでした。各種入試・入社試験にも義務的に問題として出題されたことも多々ありました。

그러나 애국심을 달달 외워야 했던 시대 주입된 애국심은 오히려 민주화에 대한 열망을 불러왔고 그 결과가 어떠했는가는 따로 설명하지 않아도 잘 아실 겁니다.
しかし、愛国心を怯えながら覚えなければならなかった時代に注ぎ込まれた愛国心は、むしろ民主化への熱望を呼び起こしましたが、その結果がどうなったかは、説明しなくてもよくおわかりでしょう。


「国民教育憲章は当時『国民』になるための必須教養」とか「学校で国民憲章を覚えられない生徒は家に帰ることができなかった」というのを聞いて、国民教育憲章の役割が日本での教育勅語となんとなく似通っているな、というのを感じました。
私の祖父から、「学校で教育勅語を覚えた」と直接聞いた身としては、「当時の必須教養」という状況が似ていると思いました。


◎国民教育憲章と教育勅語の比較


そんなわけで、実際に教育勅語と国民教育憲章の全文を見比べてみました。


教育勅語

※引用元
教育勅語|明治神宮公式ウェブサイト


私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。


国民教育憲章

※引用元
2013年11月7日付「イ・ギファン京郷新聞記者の『痕跡の歴史』」 国民と人民、そして皇国臣民(韓国語)


“우리는 민족 중흥의 역사적 사명을 띠고 이 땅에 태어났다. 조상의 빛난 얼을 오늘에 되살려, 안으로 자주 독립의 자세를 확립하고, 밖으로 인류 공영에 이바지할 때다. 이에, 우리의 나아갈 바를 밝혀 교육의 지표로 삼는다.
성실한 마음과 튼튼한 몸으로, 학문과 기술을 배우고 익히며, 타고난 저마다의 소질을 계발하고, 우리의 처지를 약진의 발판으로 삼아, 창조의 힘과 개척의 정신을 기른다. 공익과 질서를 앞세우며 능률과 실질을 숭상하고, 경애와 신의에 뿌리박은 상부상조의 전통을 이어받아, 명랑하고 따뜻한 협동 정신을 북돋운다. 우리의 창의와 협력을 바탕으로 나라가 발전하며, 나라의 융성이 나의 발전의 근본임을 깨달아, 자유와 권리에 따르는 책임과 의무를 다하며, 스스로 국가 건설에 참여하고 봉사하는 국민 정신을 드높인다.
반공 민주 정신에 투철한 애국 애족이 우리의 삶의 길이며, 자유 세계의 이상을 실현하는 기반이다. 길이 후손에 물려줄 영광된 통일 조국의 앞날을 내다보며, 신념과 긍지를 지닌 근면한 국민으로서, 민족의 슬기를 모아 줄기찬 노력으로, 새 역사를 창조하자.”

私たちは民族中興の歴史的使命を背負い、この地に生まれた。先祖の光り輝く精神を今に蘇らせ、自主独立の姿勢を確立し、人類共栄に貢献する時だ。ここに、私たちの進むべき道を明らかにし、教育の指標とする。
誠実な心と丈夫な体で、学問と技術を学んで熟し、生まれ持った素質を啓発し、私たちの置かれた境遇を躍進の土台とし、創造の力と開拓の精神を養う。公益と秩序を優先し、能率と実質を崇め、敬愛と信義に基づいた相互扶助の伝統を受け継ぎ、明るくて温かい協同精神を教え育てる。私たちの創意と協力を基に進んで発展し、我が国の隆盛が自らの発展の根本であることを悟り、自由と権利による責任と義務を果たし、進んで国家建設に参与して奉仕する国民精神を高らかにする
反共民主精神に汚れのない愛国愛族が私たちの生きる道であり、自由世界の理想を実現する基盤だ。この道が後世に伝える栄光の統一祖国の未来を見通し、信念と矜持を持った勤勉な国民として、民族の知恵を集めた芯の強い努力で、新しい歴史を作り出そう。


読み比べたところ、赤太字で示した部分が似通っていると感じたのですが、皆さんはどのように感じますか?
国民教育憲章の引用元の記事を書いた新聞社記者も、「国民教育憲章と教育勅語は似ている部分がある」とした上で、次のようなことを書いています。


흥미로운 점은 일본의 교육칙어가 패망 후인 1948년 폐지됐는데, 그로부터 20년이 지난 뒤 한국에서 그것의 아류가 탄생했다는 것이다.
興味深いのは、日本の教育勅語が敗戦後の1948年に廃止されたのに対し、それから20年後に韓国で似たようなものが誕生したということだ。

하나 차이점은 효를 강조한 교육칙어와 달리, 국민교육헌장은 '반공'에 방점을 찍고 있다는 것이다.
相違点は、『孝』を強調した教育勅語と異なり、国民教育憲章は『反共』に重点を置いているということだ。


◎まとめ


日本の教育勅語は、文部科学省学制百年史編集委員会によれば、山県有朋、芳川顕正、井上毅、元田永孚が起草し、1890年(明治23年)に明治天皇によって下賜されたもの。
韓国の国民教育憲章は、行政自治部所属国家記録院によれば、計74人の各界重鎮により起草・審査され、1968年に当時の朴正煕大統領が発表し、この全文が当時の小・中・高校の教科書の1ページ目に載せられたのですが、1994年に教科書から削除されはじめ、2003年に『国民教育憲章宣布記念日』が廃止されたとのこと。


教育勅語や国民教育憲章が存在した時代を考慮すると、良くも悪くもこれらが当時の日本・韓国の社会に大きな影響を与えた、と言えるのではないでしょうか。

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