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2015/03/23

9年間弾き続けた電子ピアノとお別れの日

6年間勤めてきた会社を退職するに当たり、会社の寮を退寮すると同時に、その部屋に置いていたC社製電子ピアノを泣く泣く処分することになりました。


C社製電子ピアノ


両親がこの電子ピアノを購入してくれたのが2006年でしたので、実に9年間このピアノを弾き続けてきたことになります。
お世辞にも高くない電子ピアノだったとはいえ、流石に9年間も弾いてきたとなると、愛着も湧くもの。
電子ピアノが部屋から運び出された時は本当に悲しかったです。。。
僕が次にピアノを買うとするならば、できれば最低でもアップライトピアノを買いたいものですが(苦笑)

2015/03/11

東日本大震災から4年 宮城県仙台市若林区荒浜地区で大震災発生4年目を迎える

東日本大震災発生から4年となるこの日、仙台駅より仙台市営バス400系統に乗車し、宮城県仙台市若林区荒浜地区を訪れました。


太平洋を望む海岸に接しているため、東日本大震災で発生した津波により地区一帯が壊滅状態となりましたが、仙台市が「様々な防災施設の整備を行ってもなお津波による危険性が高い」として住居の新築・増築を禁止したということで、他の被災地域で見られる嵩上げ工事がなく、未だ殆どが住宅の基礎のみ残したまま更地となっています。


荒浜地区へやってきました。


かなりの意思が籠った抗議文

かつて住宅のあったところは、まだ更地のまま。


「荒浜の再生を心から願う」


仙台市立荒浜小学校の旧校舎


旧校舎の入口付近。


1階から2階に上がる階段の途中まで津波が襲ってきたことが見て取れます。
3m近くあるでしょうか。


午後2時46分の黙祷を前に、観音像周辺に集まる人々

2013年3月31日に建立された、荒浜慈雲観音像


この地で大震災の発生時刻を迎え、1分後にふと内陸方向に目を向けると、父親・母親とその子供5人(若しくは子供とその友達か)とおぼしき7人の姿が目に留まりました。
彼らは荒浜地区の住民だったのでしょうか、以前住んでいた場所とおぼしき所で互いに手を繋いで輪を作り、約15分間に渡って共に祈りを捧げていたのです。
胸が張り裂ける思いでした。
それと同時に思いました。
これこそ正真正銘の「絆」なのだと。
「絆」は押し付けられるものではない、自ら作り出すものなのだと。
僕は願います。
この「絆」は、雨・風・雪どころか、地震・津波が来ても折れない固い「絆」であることを。


2015/03/10

東日本大震災から4年 陸前高田市~大船渡市

『東日本大震災から4年 福島市~仙台市』はこちら
『東日本大震災から4年 仙台市~気仙沼市』はこちら
『東日本大震災から4年 気仙沼市~陸前高田市』はこちら


陸前高田市から再び大船渡線BRTに乗り、大船渡市を目指します。
陸前高田から先は、線路跡を利用したバス専用道の整備状況が比較的良かったですが、それでもBRTというには程遠い、という気がしました。


大船渡線BRTの電子運行情報掲示板


このバスで大船渡市を目指します。


大船渡屋台村。様々な飲食店が軒を連ねます。



「ささき」でちらし寿司を頂きました。非常に美味しかったです!


大船渡でも嵩上げ工事が進行中。


大船渡線BRTの終点、盛駅。


盛駅には、三陸鉄道南リアス線も乗り入れています。



盛駅から北方向を見る。


貨物専門の岩手開発鉄道


大船渡市内を流れる盛川


大船渡市内を散策した後は、大船渡線BRT~大船渡線~東北本線を乗り継いで、仙台駅へ向かいます。


盛駅から大船渡線BRTで気仙沼駅へ。


観光型バス「三陸の『海』号」は、観光情報を流す液晶モニター付き。


細浦駅付近から太平洋を望む。


陸前高田市立気仙中学校旧校舎。3階まで津波が襲ってきたことがわかります。


JR東日本気仙沼駅


大船渡線気仙沼~一ノ関は、変わらず気動車が運行されています。


一ノ関駅から東北本線で仙台駅へ。





東日本大震災から4年 気仙沼市~陸前高田市

『東日本大震災から4年 福島市~仙台市』はこちら
『東日本大震災から4年 仙台市~気仙沼市』はこちら


気仙沼で泊まった宿はアコモイン気仙沼
一般的なビジネスホテルを想像していたのですが、実際に行ってみると、簡易宿泊施設、といった感じです。
宿泊客の大半が、復興事業に関わっている作業員と思しき人だったことも、一層普通のホテルとは違う印象を受けました。


気仙沼で宿泊した宿


気仙沼駅から鉄道で岩手県の陸前高田へ、といきたいところですが、ここも鉄道路線としての運行は再開の見込みがなく、大船渡線BRTで陸前高田へ向かいます。


昨日利用した気仙沼線BRTの電子運行情報表示板。バス専用道が少なきゃ、そりゃ遅れますわね(苦笑)


気仙沼駅から、このバスで陸前高田市へ向かいます。


バスから、嵩上げ工事を行っている様子を見ることができました。
僕は2009年の夏に気仙沼を訪れていて、気仙沼の象徴とも言えた当時の魚市場の建物がすっかり無くなってしまっていることに、寂しさを感じずにはいられませんでした。


魚市場のあったところでは、嵩上げ工事が行われていました。


東日本大震災前の気仙沼港。左側に見えるのが魚市場。(2009年8月14日撮影)


気仙沼~陸前高田の区間は全て国道45号線でしたが(苦笑)、幹線道路であることから、ほぼ定刻通りに着くことができました。
陸前高田は、2006年の夏、当時大学生だった僕が夏季休暇を利用して合宿で運転免許証を取ったところでして、その時以来の訪問だったわけですが、陸前高田市の市街地だったところに入った時に目に飛び込んできたのが、新たな堤防の基礎を近隣の山々から運び出すための巨大なベルトコンベアーと、土地の嵩上げのための盛り土。
そこには、僕が9年前に見てきた風景は全くありませんでした。
長年住民が築き上げてきた街並みを一瞬にして奪い去った大地震・津波の惨さを思い知ると同時に、巨大な人工物が網のように張り巡らされている光景に、強烈な違和感を禁じ得ませんでした。


バスの車窓から見た、ベルトコンベアー


ベルトコンベアーを間近で見る。



「道の駅」だった建物は、震災遺構として保存されているそう。


陸前高田市の東日本大震災追悼施設


高田高校書道部作


復興まちづくり情報館


『日本三大松原』の一つだった高田松原の被災松


奇跡の一本松



陸前高田市の市街地だったところは、土地の嵩上げ工事が進行中。


陸前高田市役所仮庁舎





2015/03/09

東日本大震災から4年 仙台市~気仙沼市

『東日本大震災から4年 福島市~仙台市』はこちら


仙台駅から、今日泊まる宿のある気仙沼市を目指します。

まずは小牛田駅まで、東北本線の列車に乗車



小牛田駅


小牛田駅より気仙沼線柳津駅へ向かいます。


柳津駅から先の鉄路の再開はいつになるのでしょうか。。


柳津駅から気仙沼駅までは、東日本大震災以来運行再開の見通しが立っていなく、BRT(バス・ラピッド・トランジット、Bus Rapid Transit)での運行(気仙沼線BRT)となっています。
国土交通省のホームページには、BRTの特徴として、次のことが書かれています。
連節バス、PTPS(公共車両優先システム)、バス専用道、バスレーン等を組み合わせることで、速達性・定時性の確保や輸送能力の増大が可能となる高次の機能を備えたバスシステムである。
僕は昨年7月にインドネシアの首都ジャカルタを旅行した際に利用したTransjakartaのようなレベルを気仙沼線BRTにも期待していたのですが。。
実際に乗車してみての気仙沼線BRTの実情は、バス専用道は短く、「国道45号線を走る路線バス」と言った方が正しいくらいで、BRTとは程遠いものである、ということです。
BRTとして運行を再開してから3年も経っているにもかかわらず、バス専用道の整備が進んでいなく、バス専用道から国道45号線に出入りする時の信号待ちにもイライラしました。
それでも、福島駅で見た広告の入れ込み具合、現時点での距離は短くともバス専用道を整備していること、BRT用のアプリまで開発されていることから、恐らくJR東日本としては、建前は「仮復旧」でも、本音としては、東日本大震災発生前でも乗客数の少なかった路線の鉄道としての再開よりは、BRTのままにしておきたい、というのが本音だろう、と僕は見ています。
ただ、気仙沼線BRTに実際に乗車してみて、これでは速達性・定時性から考えれば鉄道との差がありすぎる、と感じます。
時間や費用が掛かるとしても、長期的な賑わいの取戻しと利便性を鑑みれば、鉄道としての再開が望ましい、と思うのは僕だけでしょうか?


柳津駅から気仙沼へは、バスで向かいます。


バスの車内。一般的なバスと変わりありません。


本吉駅で、反対方向のバスと行き違い。


柳津駅から約2時間、やっとのことで気仙沼駅に着きました。。



『東日本大震災から4年 気仙沼市~陸前高田市』へ続く。