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2015/03/10

東日本大震災から4年 気仙沼市~陸前高田市

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気仙沼で泊まった宿はアコモイン気仙沼
一般的なビジネスホテルを想像していたのですが、実際に行ってみると、簡易宿泊施設、といった感じです。
宿泊客の大半が、復興事業に関わっている作業員と思しき人だったことも、一層普通のホテルとは違う印象を受けました。


気仙沼で宿泊した宿


気仙沼駅から鉄道で岩手県の陸前高田へ、といきたいところですが、ここも鉄道路線としての運行は再開の見込みがなく、大船渡線BRTで陸前高田へ向かいます。


昨日利用した気仙沼線BRTの電子運行情報表示板。バス専用道が少なきゃ、そりゃ遅れますわね(苦笑)


気仙沼駅から、このバスで陸前高田市へ向かいます。


バスから、嵩上げ工事を行っている様子を見ることができました。
僕は2009年の夏に気仙沼を訪れていて、気仙沼の象徴とも言えた当時の魚市場の建物がすっかり無くなってしまっていることに、寂しさを感じずにはいられませんでした。


魚市場のあったところでは、嵩上げ工事が行われていました。


東日本大震災前の気仙沼港。左側に見えるのが魚市場。(2009年8月14日撮影)


気仙沼~陸前高田の区間は全て国道45号線でしたが(苦笑)、幹線道路であることから、ほぼ定刻通りに着くことができました。
陸前高田は、2006年の夏、当時大学生だった僕が夏季休暇を利用して合宿で運転免許証を取ったところでして、その時以来の訪問だったわけですが、陸前高田市の市街地だったところに入った時に目に飛び込んできたのが、新たな堤防の基礎を近隣の山々から運び出すための巨大なベルトコンベアーと、土地の嵩上げのための盛り土。
そこには、僕が9年前に見てきた風景は全くありませんでした。
長年住民が築き上げてきた街並みを一瞬にして奪い去った大地震・津波の惨さを思い知ると同時に、巨大な人工物が網のように張り巡らされている光景に、強烈な違和感を禁じ得ませんでした。


バスの車窓から見た、ベルトコンベアー


ベルトコンベアーを間近で見る。



「道の駅」だった建物は、震災遺構として保存されているそう。


陸前高田市の東日本大震災追悼施設


高田高校書道部作


復興まちづくり情報館


『日本三大松原』の一つだった高田松原の被災松


奇跡の一本松



陸前高田市の市街地だったところは、土地の嵩上げ工事が進行中。


陸前高田市役所仮庁舎





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