太平洋を望む海岸に接しているため、東日本大震災で発生した津波により地区一帯が壊滅状態となりましたが、仙台市が「様々な防災施設の整備を行ってもなお津波による危険性が高い」として住居の新築・増築を禁止したということで、他の被災地域で見られる嵩上げ工事がなく、未だ殆どが住宅の基礎のみ残したまま更地となっています。
荒浜地区へやってきました。 |
かなりの意思が籠った抗議文 |
かつて住宅のあったところは、まだ更地のまま。 |
「荒浜の再生を心から願う」 |
仙台市立荒浜小学校の旧校舎 |
旧校舎の入口付近。 |
1階から2階に上がる階段の途中まで津波が襲ってきたことが見て取れます。 3m近くあるでしょうか。 |
午後2時46分の黙祷を前に、観音像周辺に集まる人々 |
2013年3月31日に建立された、荒浜慈雲観音像 |
この地で大震災の発生時刻を迎え、1分後にふと内陸方向に目を向けると、父親・母親とその子供5人(若しくは子供とその友達か)とおぼしき7人の姿が目に留まりました。
彼らは荒浜地区の住民だったのでしょうか、以前住んでいた場所とおぼしき所で互いに手を繋いで輪を作り、約15分間に渡って共に祈りを捧げていたのです。
胸が張り裂ける思いでした。
それと同時に思いました。
これこそ正真正銘の「絆」なのだと。
「絆」は押し付けられるものではない、自ら作り出すものなのだと。
僕は願います。
この「絆」は、雨・風・雪どころか、地震・津波が来ても折れない固い「絆」であることを。
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